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パレード

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『今度は愛妻家』と『パレード』。同時期に2つの作品を解き放つ行定勲監督は、自身のキャリアのなかでずっと"物語の生じる場所"にこだわり続けてきた人でもある。

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(C)2010映画『パレード』製作委員会

たとえば、『遠くの空へ消えた』では主人公が自分のなかの思い出を誰かに語り聞かせるシーンからドラマが始まる。『クローズド・ノート』は置き忘れてあった日記を手に取ることで追想が始まる。また『世界の中心で、愛をさけぶ』では恋人の知られざる過去を紐解いていくスタイルが取られる。主人公が開いた窓の向こうで更なる物語が広がっていくわけである。

そのいずれにおいても行定勲は"語りたいとする衝動""知りたいとする衝動"を大事に掬い取り、窓の向こう側とこちら側に擁立された主人公を巧みに向き合わせていく。つまり『ネバーエンディング・ストーリー』のバスチャンとアトレーユの関係なんですね。しかもその立ち位置が観客とも接続されていくという、三すくみ、ならぬ3者の共存関係。

その点、今回は行定流のこだわりも更にハードル高めに設定されてある。吉田修一の原作小説を監督みずから脚色した本作は、東京のマンションでルームシェアしながら暮らす5人の男女の群像劇だ。藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、林遣都、小出恵介といった役者陣がそれぞれに巧妙な光を放ち、それが交わって幾色にも勾配の可能性を広げていく。

学校の先輩後輩だとか、親友、同業者なわけでもない。彼らは単に、"程よい距離感で接せられる関係性"を求めている。互いを知ってるようで、深くは知らない。または、嫌になったら自由に退出することだってできる。あるキャラクターはこれを「チャットや掲示板みたい」と表現する。

parade02.jpgカメラはこの不可思議な個人・集団ライフの侵入者となる。順を追って5人の主観に肉薄し、彼らの日常のなかのダークな部分までをも赤裸々に解き明かす。5人はたとえ同じものを見つめていても、その内面で全く別の風景、それぞれの物語を持っている。共同生活とはその物語を見つめあうこと。そして究極的にそれらを集約し、客観性を掘り起こしていく作業は観客のみに許された特権である。これこそ群像劇の醍醐味といえば醍醐味―。

つまり映画のタイトルでもある『パレード』とは、作りモノの馬車に乗ってグルグル人生を旋回しつづける5人の若者たちと、その中心部分で彼らの姿をじっと俯瞰し続ける僕ら観客との、互いの共存・共犯関係を言うのではないか。

ゆえに今回の行定印「物語の生じる場所」とは、ひとつに共同生活における個々の目線。さらに各々の主観を蓄積し"客観"が生成されていく僕らの脳内でさえある。そしてもうひとつの可能性として、ラストシーンに象徴される"とある関係性"が浮上するのだが・・・いろいろと深読みできるこのラスト、言及するとネタばれになるのでやめておこう。

映画のなかで誰かが「ユニバース」ではなく、「マルチバース」と口にする。「世界はひとつではない。存在する人の数だけ世界は存在する」との考え方らしい。「私とあなたとは違うんですよ」と記者会見で言い放ったどこかの国の首相も、このマルチバースのことを言いたかったのかも。

行定監督が原作とは異なる落とし所を付与した『パレード』。ここにもきっと観た人の数だけ解釈の世界が広がることだろう。

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パレード

歪みはじめる、僕らの日常

公式サイトアドレス
http://www.parade-movie.com/main.html
2月20日(土)渋谷シネクイント、新宿バルト9ほか全国ロードショー
(C)2010映画『パレード』製作委員会

【映画ライター】牛津厚信

おとうと

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学生のころは、山田洋次の映画なんて中高年が観るものだと思っていた。が、自分も30代に入ると、その魅力にどんどんはまりこんでいった。これはひとえに僕がオッサン化の一途を辿っているせいだろうか。

otouto1.jpg人間たるもの、歳をとればとるほど幾つもの痛みを経験し、いつまでもあると思い込んでいたものが実はそうではなかったことに、ある日突然気付かされる。大 切なものが永遠ではないと知る。

だからこそ中高年層の観客は山田作品に尊さを見出すのではないか。フレームのなかで永遠に持続しそうな時 間の流れに身をゆだね、そっと心を置いてきてしまう。そしてその世界すら本当は永遠ではないと知っているからこそ、観客の体内で映画は"束の間の永遠"と して、なおいっそう輝きを増す。

そんな流れの中で『おとうと』は、前後半で2種類の体内時計を有しているかのような作品だった。

鶴瓶と吉永小百合の関係性は前作『母べえ』のスピンオフといっても過言ではない。きっと山田洋次は映画が自分の手から離れた後も、「吉野の山で野たれ死んだ伯父さん」(『母べえ』での鶴瓶の役どころ)のことが気になってしょうがなかったのだろう。あるいは鶴瓶に今後の山田作品の"舵取り役"としての可能性を見出したのかもしれない。監督のそうした被写体への愛情がギュッと凝縮したものこそ"弟・鉄郎"というキャラクターである。

とりわけ前半で描かれる結婚披露宴のドタバタは、山田洋次流の「台風襲来」である。和やかな祝祭的雰囲気は常にハプニングを有するもの。ウワサはすれども 実際に現れるなんて誰ひとり思いもしない男の到来。あいつだ、あいつがやってくる。その瞬間、映画版『男はつらいよ』第1作目の妹さくらの結婚式を彷彿と させる、涙と笑いの暴風雨が巻き起こるのだ。

またその破天荒な弟の投げたボールをすべて正面から受けとめようとする吉永小百合のキャッチャーミットが素晴らしい。本作が献辞を捧げる市川崑の『おとうと』(1960)の岸恵子とはまた違う芯の強さが、この映画の基底を支えている。もしも寅さんに妹ではなく姉の存在があったなら、彼はこの鶴瓶みたいになっていたのだろうか。

かと思うと、後半はやや色調が変わる。今度は現代社会を"知られざる視点"から見つめた、言うなれば『学校』シリーズのような側面を垣間見せる。そのサイドストーリーとなる蒼井優と加瀬亮の恋愛模様も、これまた往年の山田作品を想わせる瑞々しさと初々しさ。

かくも『おとうと』は、山田洋次が久々に取り組む現代劇として、いくつもの自作の映像を脳裏によぎらせたかのようだ。それに呼応し観客も、それがさも自分の体内で培われた記憶であるかのように、様々な山田作品の思い出を重ね合わせ、それぞれの"束の間の永遠"に浸ることだろう。

なお本作はベルリン国際映画祭のクロージング作品としての招待が決定している。その英語タイトルは"About Her Brother"。そっと姉の存在を匂わせるあたりが、粋である。


おとうと

家族という厄介な、でも切っても切れない絆の物語

http://www.ototo-movie.jp/
1月30日ロードショー

(C)2010「おとうと」製作委員会

【映 画ライター】牛津厚信


シリーズ累計670万部の大ヒットを記録、
TVドラマ、映画、舞台にもなった島田洋七の小説を、
原作者自らメガホンを取り再映画化。
爽やかな涙と笑いが溢れる人情ドラマに仕上がった。
佐賀の田舎に預けられた少年と型破りなおばあちゃんの、
貧しくも明るく楽しい日常を描く。

090430_gabai-ba-chan_main.jpg昭和33年。広島に住む昭広少年(小学1年時:森田温斗、
小学3年時:瀬上祐輝)は、母親の仕事の都合で、
佐賀のおばあちゃん(香山美子)の家へ預けられることに。
ところが、このおばあちゃんは超がつくほどの貧乏。
しかし、持ち前の知恵と工夫で明るく楽しく生きるおばあちゃんに影響され、
昭広は逞しく成長していく。

原作がベストセラーになった時、
話題になったのはおばあちゃんの逞しい人柄だった。
鉄くずを集める磁石を腰からぶら下げて町を歩いたり、
川から流れてくる野菜を集めたり。
前回の映画もその型破りな行動を重視した作りだったが、
ややオーバーな印象があった。
今回はそういう部分は控え目に、
おばあちゃんと孫の愛情あふれる生活を丁寧に描き、
ホロリとさせる作品に仕上がっている。

原作者自ら監督する場合、思い入れが強くなりすぎ、
観客が置いてきぼりにされてしまうことがしばしば。
だが、お笑いで鍛えた長年の経験からか、
初監督にもかかわらず島田洋七はそのあたりをよく心得ているようだ。
原作者らしいこだわりが随所に感じられる一方で、
観客を無視した思い込みの強さもなく、見る側にとっても心地よい。

吉行和子や泉ピン子が主演したこれまでの映画やTVドラマとは異なり、
おばあちゃん役には一見、タイプではない香山美子を起用。
だがそれが逆に役者の印象を消して"本当におばあちゃんがいる"
という雰囲気を醸し出している。

おばあちゃんの家も、セットではなく年季の入った本物の民家を借りて撮影。
その古さは"スタッフが入ったら床が抜けた"というから相当なもの。
だが、その甲斐あってCGを使った映画では得られない
"昭和の家"のリアルな空気が画面全体に漂っている。

中学で野球部に入った昭広が活躍する試合シーンも本格的。
走者が一塁から二塁へ走る場面。
普通なら細かくカットを割るところだが、本作ではワンショット。
本当に野球を見ているような感覚だ。
野球経験者を集めたからこそ可能なことで、
こんなところにも監督のこだわりが見て取れる。

物語の大筋は以前と変わらないのに涙腺を刺激されるのは、
こういった細かいこだわりから来る"本物感"の効果だろう。
母親役が高島礼子というのは願望が出すぎだが、そこはご愛嬌。
前回の映画で泣いた人も泣けなかった人も、
ぜひ映画館に足を運んで、その目で確かめてほしい。
きっと自分のおばあちゃんに会いたくなるはずだ。

090430_gabai-ba-chan_sub.jpg映画「島田洋七の佐賀のがばいばあちゃん」
オフィシャルサイト:http://gabai-ba-chan.oklife.okwave.jp/
苦労はしあわせになる為の準備運動たい!!
2009年4月25日(土)より東京:銀座シネパトス先行、5月全国ロードショー
(C) 島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」製作委員会・2009


【映画ライター】イノウエケンイチ