シャネルの人生にスポットライトを当てた前2作に比べて、本作はちょっと気色が違う。
デザイナーのココ・シャネル、作曲家のストラヴィンスキーという同時代に居合わせたふたりの寵児が、アーティ ストとして、男女として激しくその感性をぶつけあう。そのほんの一瞬の火花を見逃さず、それぞれの体内に流れる全く異なるメロディーを丹念に同期させてい くのである。
監督を務めるのは、『ドーベルマン』のスタイリッシュかつ破天荒な映像で世界を驚愕させたヤン・クーネン。
今回は同じ人間の演出とは思えないほどの格調高さが香る。作り手がふたりの超人に心酔し、その奇跡的瞬間の再現に息を潜めて立ち会っているかのような印象を受ける。
ただ、そのクーネンに背負わされたあまりの重責のせいか、中盤には男女のもどかしい縺れ合いが続き、いささか冗長な語り口に陥ってしまうのだが...
いや、正直、そんな細部はどうでもいいのだ!
というのも、本作はそれらの試行錯誤が瑣末に思えるほど、僕らが芸術を語る上で欠かせない歴史的大事件=ストラヴィンスキー「春の祭典」初演をフィルムに再現しているのだから。

観客はすぐさま計り知れない混沌に陥った。ある者は罵声を浴びせて席を立ち、またある者は全身全霊を込めて賞賛の拍手を送る。このときパリのシャンゼルゼ劇場は両者の喧騒で演奏自体が聴こえなくなるほどだったという。しかしこのときココ・シャネルは確かに「春の祭典」に何かを感じ取ったのであり、そこから始まる蜜月が彼女に「N°5」の香りをもたらすインスピレーションともなった(と本作は推定する)。

これがアーティストたるヤン・クーネンにとって興奮に値する化学変化だったことは想像に難くない。『サイコ』や『ジョーズ』といった傑作映画音楽に影響を与えた、あの音楽の正体が知りたい。そして、当時そこに漂っていた志向の香りを体感したい。ヤン・クーネンは当時の目撃者でありたいと心から欲し、誰もやらないからこそ今ここに、その場面を自らの手で出現させたのだろう。

いつの時代も芸術は人間を激しく突き動かす。
ある意味、クーネンの脳内には最初から最後まで、あの衝撃的な「春の祭典」が鳴りつづけていたのかもしれない。
シャネル&ストラヴィンスキー
二人の芸術家の出逢いが、「N°5」と「春の祭典」を生み出した。
http://www.chanel-movie.com/
12月19日(土)よりBunkamuraル・シネマ他にてロードショー





戦争は、人間が人間を殺すという非人道的な行為である。それを止めるべく、戦いに身を投じた人間もまた、自らの手で人間の命を奪う。その果てに待つのは、ボロボロに傷ついた心...。正義の信念の下に、暗殺者の道を選んだ二人が、自らの心の死と闘いながら、ひたすら人間らしく生きようとする姿が、感動を呼ぶ。
